2010年7月1日木曜日

マチュピチュ?

鉱石を貯留していた遺跡

マムシに注意
貨物用ロープウェーの懸台基礎の跡

生け贄から流れ出た血のような…



遠方の瀬戸内海の小島が美しい

狭く険しい山道も
9人乗りタクシーで楽々登山

その手は、何?ここは外国?

赤信号待ちで撮影たまに路上で見るシーン、
正直に言って車窓から手を出すのは、止めましょう。
エアコンを使わず、燃費削減も良いのですが、、、

この風体を個人的に見て、格好悪いと感じるのは私だけ?

ここ、新居浜では、交差点右左折の際、信号待ちしている間はウインカーを出さないローカルルールがあるようです。法規では、交差点手前15メートル以内?では合図を出し続けなければならないとされているはずなのに、8割〜9割のドライバーが発進するまでウインカーを出しません。何の為にウインカーがあるのか、本土の人と解釈が違うようです。
なので片側2車線にもかかわらず右折車が先頭で後続車が渋滞という場面が頻繁に見受けられます。
それらのドライバーは、万が一の事故の際、免責の為にとりあえず曲がり始めたらウインカーを出すといった感覚のようです。
でも、ウインカーは、他車に移動方向を察知させるものなので、早めに出しておくのが思いやりとか親切ってもんです。そんな事を考えない新居浜のドライバーは低俗です。
車の運転は、人間の本性を浮き彫りにする部分があります。
こんな事例から新居浜の人達が低俗だと思われるのは、残念な事です。
そして『伊予の早曲がり』とか運転マナーの悪さを自慢している市民が多いのも恥ずかしい!

次回は、横に2台並走する女学生自転車のマナーの悪さでもと…

2010年5月19日水曜日

東洋のマチュピチュ?

日本のマチュピチュだってよ?
辺鄙さでは言えてるかな。
かつては何万人も住んでいた空中都市
今は廃墟の痕跡が残るだけ。
ある程度、歴史的な事を下調べしてから
ここに来られる事を望みます。
でないと単なる山です。

新居浜市東平地区
産業遺産住友別子銅山東平地区からの新居浜市街地を望む

一見、信州のアルプスを思わせる山稜と空気。
1500メートル級の山の中腹にある
大型車の乗り入れはできません。
一般小型車も対面通行不可の狭い道を登ります。

麓から、この東平地区へは、
マイントピアよりマイクロバス
もしくはこのタクシーをご利用ください。

光タクシー予約TEL
0897-43-7077

一般車用駐車場もありますが、
対面通行不可部分での退避やバックの
できない人はマイカーで来ないでね。
みんなの迷惑です。
(超大渋滞)

ご無沙汰しておりました。

何ヶ月ぶりでしょうか、、、

とりあえず生きておりました。

仕事は、中途半端な田舎のタクシー。

普段は、お年寄りなどの買物や病院へのエスコート。

観光シーズンは、別子銅山関連方面への送迎。

夜はさびれた歓楽街やカラオケスナックのお客様を、、、

単細胞なのでネット活動と仕事の両立まで、まだまだ余裕無し。

こりゃ、年金もらいながらする仕事かもしれん、、、

このままじゃ食ってゆけんぞな。

2010年3月28日日曜日

国際的にみた我が国の社会保障の特徴

社会保障費国民負担率の比較的低い日本。

2010年3月17日水曜日

就職内定

職業訓練も無事終了し、就職先も決定(内定)しました。

といっても、まだ勤め先では新任研修が山ほどあるので、
登山5合目という感じです。

最後の選択肢を使ってしまった、、、

二度と戻るまいと誓ったはずたったのに、、、

家庭を持つという事は、夢から遠ざかる事ではないはず、、、

気分転換、せねばね。

2010年1月31日日曜日

ベーシックインカムを理解する

ベーシックインカム=文化衝動としての生活基本金制度
多国語から日本語字幕も選べます。とてもよくできたベーシックインカムを理解するコンテンツです。



字幕訳全文

ベーシック インカム/生活基本金
文化衝動としての生活基本金制度 BI
映像によるエッセイ
ダニエル へーニー & エンノ シュミット共同制作  邦訳 : 吉田和彦
所得とは、翼の周りの空気のように                                無条件に存在すべきものです。
ベーシック インカムによって                                     所得は市民の権利となります。
ようこそこの地上にお生まれになりました。
誰もが多かれ少なかれ所得を得ています。
そうでないと人は生活出来ません。
では、どのような条件で                                       所得を得ているのでしょうか?
どのようにして人々は今日                                      所得を得ているのでしょうか?
10人中4人のドイツ人は所得を得ています。
それは賃金労働に従事しているからです。
その労働で生活資金を得ることが出来るので
賃金獲得目的の労働です。
10人中約3人は                                            家族から収入を受けています。
とりわけ子供や青少年がこれに当たります。
10人中約2名は年金や恩給による生活です。
そして残りの約1名は                                        失業保険や生活保護を受けています。
これら全ての収入が賄われているのです。
しかし実際にはたった41%の市民しか                               賃金労働に従事していません。
それ以外は別の収入を得ています。
それは譲渡による収入-すなわち
仕事とは直接関係の無い収入です。
そう考えれば生活基本金制度 BI も                                それほど特別なことではありません。
聞き慣れないのは                                          それが無条件であるということです。
でも所得を得る為に条件に縛られることが                             時代に合っていると言えるのでしょうか?
各々がそれなりに頭を働かせて、ある程度
事を判断出来れば予想がつくことですが、
今の労働市場では将来
社会制度で人々の調和を保つことが
出来なくなってしまうということです。
生活基本金というテーマが
頭に浮かんだ時
まず考えてしまうのは
それを経済成長とだけ
結びつけることです。
今日それが
現実的で政治的な考え方です。
右から左のどの隅々に至っても
経済成長のことしか頭にないのです。
つまり人は量的にしかものを考えず
それが原因となって、新しく                                     クオリティーの高い社会制度モデルを
質的に構想することを
押しのけてしまっているのです。
労働市場の拡大が経済成長につながるとは
今日、もう言えません。
それどころかそれは間違いです。
いずれにせよ経済的成長の前提となるのは
購買力の存在です。
つまり誰もが                                              お金を持っているということなのです。
世界最大の財産管理会社と                                    世界最大級の銀行の最高責任者
クラウス ヴェラースホーフ氏は無条件の                             生活基本金についてどう考えるでしょうか?
人々に対する条件無しの                                      援助についてですか?
勿論それは将来に継続されるべき
根本原理にかわりないはずですが、
私たちが抱える様々な課題を考えると
難しいことです。
それはつまり                                              どんな課題のことなのでしょう?
恐らく職場を確保することでしょうか?
政治家は皆それを望みます。
が、仕事そのものについて                                     考えているのでしょうか?
それとも税収入のこと?
社会保険の受給者を増やさず
国の経費が増大しないように...と?
でもね、費用増大の原因となる
『悪い国家』という風にではなくて
様々な成果がもたらした                                       必然的なものと考えてみましょうよ。
その成果がもたらした必然性、                                   それは合理化です。
それは自宅の前でも行われています。
もし所得が保証されたら                                       あなたは何の仕事をしますか?
将来どう発展してゆくべきかを考える時、
この生活基本金に関する問いが生じます。
ベーシックインカムには                                        異なったモデルがありますが
関連組織全てに共通する生活基本金の定義は
国家に属する全ての人に無条件で
支給される所得である、ということです。
そこには4つの基準が掲げられています:
【生活基盤を保障し社会生活を可能にする】
【個人に合った権利を現実化する】
【何の審査も無しに支給する】
【就労を強いない】
ここで言っておかなければならないことは、
生活基本金によって全ての人にとって                              お金が増える訳ではないということです。
天から舞い降りて                                           既存収入の上に被さるのではなく
その既存収入の中で成長するものなのです。
賃金所得は少なくなります。
収入総額に変わりはありませんが、
内容が違うのです。
生活基本金は性格の異なる収入です。
最低賃金とは違います。
報酬でもありません。
仕事とは関係ないのです。
人間そのものに支給されるのです。                                どんなことがあっても。
個人を抑圧する共産主義だとか
個人が孤独に陥る                                          市場自由主義とは異なって、
ベーシックインカムに於いては                                    個人が自分で決断出来得る最大限の
自由の確保を保障出来なければなりません。
それは所得の保障によってのみ可能ですし、
収入を得る他の仕事をしなくても生活可能な
金額でなければならないのは当然です。
それは又、                                               他人との関係を同じ目の高さで築くことの
前提条件にもなる訳です。
今日、社会保障に頼る殆どの人は
自身の生活基本金によって解放されます。
ベーシックインカムは国の支給能力を                               最高限まで補うことが出来ます。
その限度を超えた社会保障が                                   必要な場合にのみ
その分を受け取ることが出来ます。
基本金に因ってお金が増えるのは、                                今日あまりお金のない人たちです。
それはとりわけ子供や青少年、                                  つまり家族ということです。
或いは僅かな年金で生活する人、
収入の少ない労働者や自営業の人などです。
生活基本金は貧困を除去し
保障された基盤によって                                      中産階級を安定させます。
年老いることも怖くなくなります。
この基本金は誰かが他の人と契約して                              譲渡するようなものでなければ
急に必要になってから支給するものでもなく                           全ての人の将来を見通したものなのです。
ベーシックインカムはより良い人間づくりを                            想定しているわけではありません。
そういう問題はお金では
解決しません。
でも人間によって                                           今までより多くの問題解決が可能です。
トーマス ペインは                                           人権擁護運動の創始者であり
アメリカの建国に携わった一人です。
アメリカ合衆国というのは彼の命名です。
彼が出版した『コモン センス』                                    (健全な人間の理解力)において
ペインは北アメリカ植民地の                                     イギリス王室からの独立宣言を
推し進めました。
彼は世界中の初期の民主主義的考え方に                            大きな影響を与えました。
私たちは、全ての人間が
平等に創造され、その創造主から
生活、自由、幸福、という                                      譲渡することの出来ぬ権利を
与えられているという真実を知っている。
人間の権利
昔は言語同断でした。
でも今日でも同じです。
平等な人間存在の権利を説くなんて                                馬鹿げています。
まだありませんから...。
権利は財産を所有している人が                                  持っていますから。
財産のない人はチョッと                                       生意気になるしか仕方がありません。
人間の権利?
つまりそれは奴隷を解放することです。
そしたら誰がサービス業をやるのでしょう?
お金にも名誉にもならずに嫌がられる
力仕事を誰がやるのでしょう?
そうした心配を人はします。
例えばベーシックインカムにおいて...
経済は破綻し社会は混乱。                                     でももっと大変だった時があります。
それは地球がまるいって解った時なんです。
教会は地が円板だと永く信じていました。
それは混沌とした水に囲まれており、                               誰かが円板の淵にまで行こうとすれば
突然その水の中に                                          落ちてしまうのだと言われていました。
また地は屋根のような天空に覆われ                               その上を星が巡り、そして更にその外側では
人間の喜憂を司るとてつもない力が
天を支配すると考えられていました。
それと同様に                                             今日私たちはお金と経済をみています。
地が円板であるということが                                     当時の世界観、秩序、
安全保障の全ての基礎になっていました。
新しい意見も聞かず、地は円板でその上に                            人が存在するのだと言われ続けてきました。
では地が円球だったら                                        どうなってしまうのでしょうか?
それが解った時でも
勿論地球は宇宙の中心で、自転している                             などとは思われていませんでした。
だから惑星の軌道の法則性をつかむことが                           限りなく困難になってしまったのです。
このように人がどこに観点を見据えるか                              ...ということがいつも重要なのです。
ベーシックインカムも全く同じです。
困難になってしまうのは自分自身の                                『動き-可能性』を知らないからです。
理解の限界に達した時、                                      見栄えは良いが実はイデオロギーに包まれた
既存の事柄からものを判断していたのでは                            もう先へは進めません。
でもまず人間について、そして今後の発達                            について考えれば、事は簡単になります。
様々なシステムは自らの正当性を主張し、                            他のシステムに変わることは不可能です。
でも人間ならこれは可能です。
ベーシックインカムは                                         オーストリア、スイス、ドイツで
テーマとして話し合われています。
もう、時が満ちているんじゃないかしら。
人間の尊厳が奪還されることになるんだよ。
贅沢する為にあるのではないんです。
ベーシックインカムは                                         何と言っても我々が今抱える
社会的緊張の増大を                                         抑える効果があるんだよ。
結局、多くの人がしたくもない                                    仕事をやってるんだわ。
すると人は、                                              そういう人こそが職場を占領し
本当に働きたい人には                                        職場が無いと考えます。
働くことを望むのか望まないのか
それを言う決断が自身に与えられた時、                              社会に動きが生じます。
でも一番スゴいことは、                                       人生が終わりに近づいた時に
この人生でやりたかったことがお金が無くて
出来なかったなどどいう言い逃れが
もう出来なくなってしまうことだわ。
まさしくその通り、言い訳不可能
諸君、誰が親が望むが為にのみ                                  ここで勉強しているのだろうか?
どんな社会の中で我々は生活したいのか?
こんな疑問を持てないのであれば、                                コンピューターとだけ付き合えば良いのさ。
このテーマに取り組んでいる                                    イニシアチブはもうたくさんありますよ。
そんなの無理に決まっているよ。
いぁー、絶対に無理だよ。
だって報酬が保障されてしまったら、
仕事をやる気なんかなくしてしまうよ。
全くなくしてしまうだろうね。
賃金労働によって人は病気になります。                             何故なら、これは経験的に言えることですが
労働の時間がどんどん制約され                                  人がその中で圧迫されているからです。
根本的にベーシックインカムは                                   束縛の無い社会をもたらします。
これこそ最重要です。
賃金労働の束縛から放れ、                                     自主性へと向かいます。
でもね、どうせ後になって出る問題は、                              どうやって資金を調達するかってこと。
だってお金がどこかにないと                                     出来ないでしょ。
でも経済学者として、                                         これは可能だと言えますよ。
その通り
ただ大変なのは、これを実行する為のノウ                            ハウを皆が学ばなければならないことです。
それはただごとではないし
経験もありません。
資金の調達方法そのものは
もう解決しています。
それより自由になることこそ難しいのです。
資金調達の可能性は解決している。
自由の獲得こそ困難な修行である。
21世紀の恐ろしいヴィジョンは既に存在し
新聞はその話題で溢れています。                                 そして同じく自分たちも。
生活基本金は                                            今世紀最初の希望ある未来像です。
それは人がただ傍観するだけの
手の届かぬ世界的テーマではなく、
誰にでも関係することなのです。
つまり各自が、責任を持って行えぬことは
もうやらなくてもよくなり、
本当に望むことを行えるからです。
それとも皆、家でゴロゴロ                                      するだけになってしまうでしょうか?
誰も働かなくなってしまうでしょうか?
長期ストの時と同じように車輪も停止し、
責任者も遊び呆けてしまうでしょうか?
責任?
それはもう消え去り
舵取る者も無く、
誰も学ばなくなる?
大学も空っぽになる?
より優れた能力に対する意欲を生活                                基本金は削ぎとってしまうのでしょうか?
強制されることなしでは、                                      人は能力を生かせないのでしょうか?
が、それだったらとっくに                                       企業の専門職は不足しているはずです。
経済はどの様に進展するべきでしょうか?
経済が本来何の為にあるか...という                                理解が欠けていること、
それが私を一番憤慨させるんです。
経済は人間の共同生活において
活動することを可能にし
何か役立つ良いことを行えるようにします。
でもその考え方がもう消滅しています。
つまり経済は、                                            人間自身の生活とは関係のない目的へ向かう
単独な循環行程を持ってしまい
人間生活を破壊することさえ可能なのです。
何と言われても僕が固く信じるに、
我々に必要なシステムは
労働量や良い業績に対して                                    報酬が支払われるシステムだよ。
もしこれが、                                             じょうろで全ての植木に水をやるように、
全ての人に一定金額を支払ったり                                ベーシック インカムが導入されたりしたら
あげくの果てには
全ての業績社会制度が                                       崩壊してしまうだろうね。
2001年のドイツを例にとってみると、
560億時間の労働に                                         報酬が支払われたのに対し、
無報酬の労働は
960億時間にもなるのです。
それは家事や親としての仕事、
ボランティアなどの仕事です。
ベーシック インカムは業績による                                  報酬を妨げるものではありません。
むしろ課題となるのは、                                       企業や社会における責任者が
金銭的状況に                                             さほど束縛されなくなった人たちを
報酬の支払いを武器にかざすことなく
どのように指導してゆくのか、                                    ということであり、
またおのれ自身をどう導くのか、                                  ということなのです。
でもやっぱり皆                                             プールで寝そべるのでしょうか?
そして街路には                                            ゴミが溜まってしまうのでしょうか?
結局老人だけが公園の整備をするのかも。
生活基本金は業績社会のみならず
人間としての自覚や成功への喜びをも                              埋没させてしまうのでしょうか?
全ての人間が報酬を受けるのも                                  何だか退屈かもしれませんね。
昔のヒッピーや                                            シュタイナー学校の生徒だったら
人間とは                                                本質的に優れたものだと思っています。
でも人間は動物でもあるから、
生活基本金よりも、                                         獲物を捕らえるなわばりの方が良いのかも。
まぁ焦らずに、新しい市場が                                     何をもたらすか様子をみて見ましょう。
扉の外側で
多くの人々が
飾られた食卓につけずにいます。
生活基本金制度は                                          人のつながりを緻密に出来るでしょうか?
それとも、階級社会は                                        このまま存続してしまうのでしょうか?
高額な報酬や目も眩む学費、                                   そして固定資産などを管理する人もいれば、
その他方では                                             生活基本金制度の準備をする人もいます。
それは、希望や趣味に時を充て
時給200円の為にでも仕事をし
本質的な事を妨害しない人たちです。
間違った生活基本金制度も起こり得ます。
それは、生活必要額に満たない基準を
設けた時に起こり得ることです。
また全ての社会福祉制度を抹消すれば、
人に労働を強いることになってしまいます。
中国の様に個性をみずに
ただ賃金を払ったり、                                        生活基本金制度の中で
仕事を断れなかったり、                                       また金銭の往来が
様々な出所や特別なモデル、照合計算や                            書類などによって複雑になってしまうと、
およそ今日あるような状況を
より悪くしてしまうだけです。
誤った生活基本金制度は、
金額が低い時、
社会保障が削除された時、
条件を付けた時、に生じる。
『働かぬ者は喰うことなかれ』と
使徒パウルは言いました。
でもそれは教会活動に                                       献身的では無い人を指してのことでした。
『もし教会の救済がすぐ近くに                                   来ているとすれば』とパウルは続けて語り
『つまり行うべきことを                                        与えて下さるのであれば
食べるものだって                                           与えて下さるに決まっている。』
パウルにはユーモアがありましたが、                               他の人には解りませんでした。
寄宿舎の生徒が籠に入れられて
食卓上の天井に吊り下げられ、                                   何も食べさせてもらえません。
仕事を充分にしなかったからです。
食事没収!
精神性が失われる時
どんな決まりであろうとひどいものです。
ベーシックインカムについて議論する際、                             始めに課題となるのは、
古い考え方を踏破してゆくことです。
例えば以下の観念
『賃金労働に従事する者のみ、                                  食する権利を有する。』
この間違った、働く者のみが                                    社会の為に有用なのだという考えを
ベーシックインカムの議論において                                取り除かなくてはなりません。
何故なら、世の中にはこれとは全く逆の                             賃金労働だって存在しているのです。
『働かぬ者は喰うこと無かれ』という言葉が
先ほど心に響いたばかりですが、
芸術家ヨゼフ ボイスはその言葉を                                 『考えぬ者は出て行け』…と
書き換えました。
だって食べる物は勿論、                                       その他の物も充分にあるのですから。
でもその点、                                              仕事に関してはどうでしょうか?
こうした自然物、物質、                                       そして加工に関する労働は
ありがたいことに上手くいっている。
しかし経済は人間を労働から                                    解放するという課題を背負っているんだよ!
経済は                                                 人間を労働から解放するという課題を持つ。
こんなこと、新聞には載っていません。
一体どこに解放するのでしょう?
こんなこと、企業要綱にも載っていません。
従業員の解雇は誰にとっても辛いことですが
現実にそれは起こっています。
しかしそれを現実の事として
もしくは課題として理解すれば
少し変わった解釈も可能です。つまり、
労働から解放されるということは、同時に                             労働への自由を獲得する、ということです。
労働という名の囲いの外にヴァカンスと                              ホリデーしか思い浮かべられないなら
そんな考えは、自主性から                                      くるものではありません。
職場にとって、                                            何が投資されるべきなのでしょうか?
新しい時代の職場に投資するすべての                              ことは同時に合理化へと向かうべきである。
そこではつまり労働を節約することが                               展開していくのです。
そこでは『どうやってもっと多くの仕事が                              くるようにすればよいか?』などと言う                               マネージャーはいません。
『どうやってもっと多くの仕事が                                   くるようにすればよいか?』???
経済の課題は需要を満たすことにあります。
お判りの通り、効果的にです。
仕事をもたらすことが                                         経済の課題ではないのです。
人生の目的や疑問、課題を携えて来る人々が                          それでは収入が得られないので
他のことをしなければならない状況に対して                           立ち向かうこと、これが課題です。
現代社会における問題点、それは
今日、大勢が職場を持っているとは言うが
実際、それは金稼ぎの場でしかない...
ということなんだよ。
金稼ぎの場があるということは、つまり人は
金を得る為の手段を
学ぶということなのです。
それに魅力を感じないのであれば
社会的にこれは問題です。
何故ならそれがストレスや                                     病気につながっていくからです。
ドイツでは12%の労働者が、その職場が                             自身に全く適していると感じています。
10人中1人以上の割合です。
半分以上の54%の人は
仕事に対して差ほど満足していませんが
良い点を挙げることも出来ます。
そして34%の労働者は
自身の仕事に全く不服です。
およそ3人に1人の割合です。
労働争議って言いますが、                                     それは結局賃金闘争のことです。
その労働争議は仕事がなくなって                                 しまうことに対して抗議します。
...ってことは、仕事=私自身です。
しかし仕事の斡旋は                                         正当なものではありません。
義務そのものが正当ではないのです。
身を売買されることが                                        正当であるはずがないのです。
人が自身から望み行う労働を得る権利こそ
正当なものです。
誰にも左右されず
その正当性の為に                                          賃金も正当でなければなりません。
仕事の為の労働局があっても                                  『賃金管理局』がないのは
ちょっとおかしいねぇ。
この男性はつまり、
やる仕事はいくらでもあるけど、                                  それでは稼いでゆけないというのです。
もし所得に対する権利が存在するなら                              社会にどの様な影響を与えるでしょうか?
スイスの社会学者メーダー氏の意見は...
賃金労働に於ける偏った                                      この批判的な状況の中で
人は『人生の根本価値』                                       という問いに焦点を当てます。
所得の権利は人々を激励し
安心感を与えます。
またやる気を与え、
満足感をもたらします。
したくもない事を、肘をはって                                    無理して行う必要も減るのです。
他人の犠牲によって得られる利益に                                常に執着しなければならない現状から
人々は少しずつ
解放されていきます。
その今日の現状は激しい                                      競争システムによって生じ、それに因り
人間の連帯機能も                                          うまくいかなくなっています。
以上が社会学教授の意見でしたが、
ちょうど仕事を終えた人が初めて                                  生活基本金について聞いたら
何と言うでしょうか?
…ってことは皆同じ給料を貰うってこと?
そうではなくて
給料はまちまちだけど、                                       生活基本金が貰えるんです。
でも働けばでしょ?
いいえ、無条件で。
無条件?
全員に支給されるんです。
そんなことしたら必ず問題が起こるよ。
基本給が保障されたら                                       仕事に就かなくたってよくなってしまう。
あなただったらどうしますか?
喜んで仕事に行くよ。
家にいたって何もならないし、                                   自分の仕事が好きだからね。
でも必ずや仕事に行かなくなる人が                                出てくるだろうね。
生活基本金が貰える場合
それでもあなたは仕事に行きますか?
この質問に約60%の人が                                      即座に「はい、今まで通り」と答え
30%の人が                                              仕事には行くが「少し時間を減らす」か
「内容を変える」と答え
10%の人がとても正直に
まずは家でゆっくりしてから                                     先のことを考える...
旅行に行ったり、他人の世話をしたり、                              何か勉強を始めたり...と答えました。
では、生活基本金が貰える場合
他の人は仕事を続けると思いますか?という
質問に対しては80%もの人が
「いや、大抵の人が仕事へと向かう力                               を失ってしまうだろう」と答えています。
仕事に必要なこの力って                                      一体何なのでしょうか?
自身から湧き起こる
力ではありません。
何が仕事へ向かわせる                                       力なのでしょうか?
足踏み動力
児童労働
全ては当然のことでした。
でも今なお存在します。
何かの製品がどこかアジアの国で作られ
そこでは人がしたくないような                                   不快な作業がなされ
その為に                                                更にどこかから安い労働力が導入され
その為の契約書も保険も、                                     何の保証もないのです。
病気になればお金も貰えません。
でもこうした『汚い仕事』と呼ばれる仕事は                            それ自体が汚いという訳ではなく、
その誤った価値観や低賃金、労働条件等が
その仕事を汚くしているのです。
しかも大抵、その仕事は                                       他の人が汚したものを片付ける仕事です。
誰が一体その仕事を                                         汚しているのでしょうか?
生活基本金があれば                                         誰もが「イヤだ」と言える様になります。
そしたら誰が                                              『汚い仕事』をするのでしょうか?
その為の3つの解決策は...
1.その仕事に対する賃金を上げ                                  労働条件を向上させる。
2.自動化や合理化を推進する。
3.各自が自身で処理する。
例えば                                                スーパーのレジで働いている人を思うと
多分そんなに楽しい訳ではないと思うわ。
レジの人たちは生活基本金が貰えても                              仕事に行くのかしら?
それでは実際に尋ねてみましょう。
えぇ、
私は仕事を続けるわね。
だって家にいて何もしないなんて                                  考えられないわ。
例え1000ユーロの基本金を                                    貰えたとしてもね...
まぁとりあえず1000ユーロってことですが
もっと高くするべきでしょうね。
それとも少なく?
どのみち1000ユーロじゃ                                       全然足りないわよ...。
だからこそ『基本金』なのです。
それは文化的水準にかなう生活の為に                             最低限必要な額を補います。
だから今と同じようにお金をもっと稼ぎ                               たいと大抵の人が思うのは当然です。
レジに戻りましょう。
『夢の職場』って訳ではないでしょう?
勿論「こんなレジの仕事なんて」って                                考える人もいるけど
この仕事では多くの人間と接触出来るし
自分の態度が                                            雰囲気にも影響を及ぼすんです。
また私は開放的な性格ですから...。
だから仕事についても悩んでいないし、                              ここがとっても気に入っているわ。
生活基本金があったら、                                       何の仕事をしますか?
より良い条件で同じ仕事を...
だとしたら、ベーシックインカムが導入                               されても極端な変化は起こり得ません。
仕事無しじゃ生きていけないわ。
そんなの退屈ったらありゃしない。
でも変化は起こるでしょう。
旅行に行ったり色々視察したり、                                  今出来ないことが可能になるわ。
仕事をする為には教養を                                      積まなくてはならないしね。
そして仕事に付きまとうストレス。                                 皆仕事を見つけるのにも苦労しているしね。
ふさわしい職場は直ぐふさがってしまう。
でも生活基本金があれば職場探しも                                そんなにストレスにならないと思う。
現在私たちは、生徒たちが                                     大人になって社会にでる時の為に、
自身に合う職場を必死になって探せる                               ような状態に導かなければなりませんが、
そんな職場が十分に存在しないことは                               もう皆知っていますよ。
そんな偽りの中に                                          私たちは生きているんです。
ベーシックインカムというテーマは                                 若者にとって本当に大切だよ。
今日どれだけの若者が                                       将来に不安を抱いているか、
様々な学校で観察することが出来るしね。
よく考えもせずに                                           単に就職の準備を学校で行って、
納得がいかなくても仕事について安心                              することで、その先問題が生じるんだよ。
人が本当にやりたいことを                                     最善をもって行えるように
ベーシックインカムは現在の問題を                                改善してゆけると思う。
でもやっぱり問題は起こるだろうね。                                意識の問題が...。
何事にも                                                ふさわしい時と場所が必要だよね。
ではベーシックインカムが及ぼす                                  仕事への意味は?
恐らく仕事は複数の人によって分担される                            だろうね。そしたら満足が得られるのさ。
では『意識の問題』は?
僕ら人間は大抵                                           大きな錯覚の世界に生きています。
僕らが生きていられるのは、                                    自然があるからであり、
また、次世代やパートナーがいるからです。
自分以外の物や人が                                        自分を支えているという
依存関係や人間愛のことを                                    はっきりと理解しない限り
自分はまだ他の人に対して                                     負債があるわけです。
人間愛についてでしたが、
人間の平等や
民主主義については?
私にとってベーシックインカムは民主主義が                           機能している証拠のようなものだわ。
生活基本金が保障されていれば                                  ビクビクすることもない訳だし、
全ての人の為の民主主義社会に                                 多様性をもたらすことが可能になるわ。
貧富の差に関係なくね。
では芸術分野では?
実際に作業していない時でも
目に見える作品が存在しない時でも
僕は働いている訳でしょ。
芸術家にとっては色々複雑で
想像力を得て作品を作る為に必要な
人生全体の時間に対して
お金をもらえるのでは
ない訳で、
注文を受けて
実際に工房で作品を製作した分のみ
お金が支払われるんだよ。
インスピレーションを得て
それを保持する為の時間を                                     どう経済的に支えるか?
人生そのものが芸術なのだから!
さて若いお母さんにとっては?
それはもう最高だわ。                                         そしたら何も後悔する心配なく
自分がやりたいように                                        育児に専念出来るし、
やっぱり働きたくなったら、                                      労働斡旋所の紹介するがままにではなくて
自分の希望に沿って                                         仕事をしていけるわね。
そういうことを考えたら、                                       とっても良い事だと思うわ。
そして子供が成人になったら
独立するのも容易になります。
さてベーシックインカムで                                      基本金が保障された中で
人は正しく成人になれるのでしょうか?
ベーシックインカムと                                       人々の意識成熟の関連は?
恐らく僕は社会に対する反抗に                                  そんなに時間を要さずにすんだだろう。
経済的な心配がさほどなければ                                  世の中に容易に溶け込めただろうし
人の中にも容易に溶け込めただろうね。
そして本当に大切なことを                                      諦めることもなかっただろうね。
至る所に存在する必要のない癒着関係を
解いていくことが可能になるでしょうね。
私たち人間はもっと社会や世界で起こる                             ことに対して責任を持たなければならない。
こんなに収縮した世界で人間は                                  孤立しては生きてゆけない。
ともかく大切なのは、                                         まずは全ての人が頭の中で
収入と労働を切り離して                                       考えられるようになることです。
つまり仕事をする為に                                        収入があるのであり
収入を得る為に                                            仕事をするのではないということです。
ベーシックインカムは私にとって                                   アルキメデスの原理のようなものだよ。
それによってまた様々な疑問や                                  課題が沸き起こってくるだろう。
でもこういうことは                                         色々な所でいっぺんに始めても
大きな社会運動には                                         つながっていかないだろう。
それよりも大切なのは
ひとりひとりの個人の力。
この個人の力こそが重要なのさ。
ヨーロッパのとある中央駅での戴冠式
人が飛べるということは永い間                                   空想の産物でしかありませんでした。
失敗ばかり重なって                                         不可能だと思われていました。
今日では技術的に当然のこととなりました。
そして選挙権も!
全民衆が決定権を持つ社会が成り立つなど
信じられていませんでした。
限られた視野しかない
教養のない町民が
社会のことも知らずに決定権を持つことが
国家の為に有益なのか?...と。
しかも男性ばかりではなく
女性までも!
女性、それはとっても感情的だから
すべてがゴチャゴチャにされてしまうのを
守らなければならない...と。
また家事は一体誰がやるのか?
一連のこうした主張が再びベーシック                               インカム反対者の中に見出せるのです。
スイスでは婦人の選挙権が                                     1971年から施行されました。
その3年前には既に                                         月へ人が飛んでいます。
それまであったことを覆すようなことが                               実際に現実となる前には、
それが可能になるなどとは、                                    誰も信じていませんでした。
今までなかったことも上手くいくはずです。
その昔、                                                市民は国家に統率されていました。
それが今日ではひっくり返り、
市民一人一人が主権者として、                                   自由選挙や市民投票を通して
国家に課題を委託します。
同様に仕事も、                                            労働市場がそれを制するのでもなく
また人間が経済の為に存在するのでもなく、                          全てはひっくり返り、
一人一人が経済的な主権を握り、                                 自分自身の課題だと判断する事を
権利として守られるべき
自由所得の原理の中で
行うようになるのです。
トマス モアはイギリスの                                       ヘンリー8世下の大法官でしたが、
側近たちの                                              間違った考えに抵抗したために
処刑(断頭)されました。
その行為によって                                          彼は1935年に聖人と定められたのです。
更に2000年には法王ヨハネ パウル2世が
彼を政治家の守護聖人に定めました。
トマス モアは                                             その『ユートピア』という著作の中で
より恵まれた環境にある                                      遠い島での旅行記を著しました。
それを他の著作家もまねました。
この著作以来、私たちは                                      ユートピアという言葉を使っているのです。
『無い』『場所』という意味です。
生活基本金の構想は既にルネッサンス                             時代の社会的ユートピアに見出せるのです。
ユートピアという場所を通して
人間の発展段階が判ります。
過去には考えでしかなかったことに、                               後世に人は真剣に取り組みました。
例えば啓蒙思想!
つまり、自らが見て考えて                                     真実と思うことを主張するのが
啓蒙思想です。
更に自らの知識を他にも分け与え
新しい解明が常に生じていきます。
ここで重要なのはどういうことでしょうか?
大切なのは思考の自立、                                      自身で分析するということです。
感情が揺れ動く時期に
両親や教師、牧師や博士を通して
受け継がれる思考のパターンは
突然間違いだとか狭義なものだと認識され
すぐさま新しい思考パターンを見つけて
自身の為に                                              確立させていかねばならないのです。
それを通して、自身で考えたことを                                 信じるということを学んでゆきます。
マッターホルンに登りたければ、                                  早起きすることを考えます。
下山する時に暗くなったり                                      寒くなったりしないように
お昼には                                                山の上に着いていたいからです。
スイス人は皆知っていることです。
でも原油消費量のことは誰もよく考えずに
それがもう頂点に達してしまいそうです。
原油供給量のピークはもう間近で、                                それからあとは
ただ急降下しかありません。
賃金労働の完全雇用も同様に                                   一時的なもので
既に頂点は越えています。
未来学者のジェレミー リフキンは                                  将来どのようなスケールで
完全雇用がなくなっていくのか                                   1995年に予言しています。
2050年に、今あるような                                       産業形態を維持していく為には
恐らく5%の人間のみが                                       必要とされるだろう。
農場、工場、オフィスには                                      人が殆ど必要なくなる。
リフキンの予測は議論を呼んでいますが、                            単なる空想とは違います。
1982年にアメリカでは                                      7500万トンの鋼鉄を生産する為に
30万の人が働いていました。
20年後には                                              1億トンもの鋼鉄が生産されたのに
その為に働いたのは                                        たったの4分の1の人だけです。
無論新しい職場も生まれましたが
それはいくらかのコンサルタントか                                 特別な技術職のみです。
そうしたことは産業界だけではなく
サービス業でも同じです。
オンライン銀行はその顕著な例ですが
これからまだまだ発展してゆきます。
同じ数の顧客の預金業務に
今までの銀行の
10分の1の従業員しか必要ではありません。
こうした変化は                                            先進国に限られたことではなく
基本的に世界中の至る所で
生産量に対する労働者の数が
減る傾向にあります。
21世紀に於ける世界資源は人間の創造力                            そのものである。 アドリエンヌ ゲーラー
将来の職場は、今の芸術家や                                  ジャーナリストを模範として
どんどん変わっていくでしょうね。
企業体にはまらずに自由にお金や仕事の量                           いつ誰と仕事をするのか、その期限を決め
自宅で仕事をすることも多くなるでしょう。
新しい時代は、                                            人間が不安、欲望、憎悪を克服して
理想的なヴィジョンに近づいていくことを                              要求します。
100年前の農業では
1人の労働者が
3人分の作物を生産していましたが
今日では120人分の作物を生産出来ます。
そのわけは御覧のとおり...
そしてそれはどこでも同じことです。
現代の労働者は100年前に比べて                               100倍も動かなくてはなりません。
技術が多くの労働を担うこと
ひと昔前はこれが目標でした。
では今日の目標は?
多くの人の後退につながるような
今の状態が                                              目標と言えるのでしょうか?
生きる為に不安を持つことが                                    目標ですか?
もう新しいアイデアなど                                       必要ないと言うのでしょうか?
技術改新は                                              どんどん先へ進んでいますが
社会福祉改新となると                                        全く事情が異なります。
小舟は一度沈まなければ                                      ならないのでしょうか?
でも頭を冷静に保てば                                        体は再び浮いてきますよ。
福祉の在り方を変えるのには、                                   機械の動力とは違う
別の力が必要です。
発展の波の中に社会福祉は                                    まだ埋もれてしまっています。
福祉国家はどうなっているのでしょう?
ゲーテ『ファウスト』
メフィストフェレス: 生命あるものを認識し                             それを叙述しようと欲する者は
その中に存在する精神を                                       まず除去してしまうのさ。
すると手もとに残るのは                                       バラバラになった部品だけで
それを結合する精神-或いは生活基本金-                           がそこには残念ながら欠けているのさ。
一体何のことを語っているのか                                   私にはよく解らない。
頭の中で風車が回転しているかのようだ。                            私には理解し難い。
所得を得る為に仕事に行く...
と誰かが考えるのであれば
そこからもう誤解が始まるのです。
所得というものは誰でもが必要だから
皆が得るべきものです。
誰もが他の人のお陰で                                       生きているのです。
もし所得が労働と                                           結合しているとすれば
機械が                                                 給料を得なければなりません。
しかし所得を必要とする人が
今も引き続き
仕事を引き受けています。
ベーシック インカムによって                                     賃金労働が無くなるのではなく
その中の絶対権力を取り消すのです。
そして真実性に対して                                        空間を与えます。
他にも色々可能性があります。
約50年前のスイスで                                         洗濯機はおよそ3550フランもしました。
これは大金です。
その後発達した洗濯機は今日、                                  3195フランで購入できます。
つまり価格はほぼ同じです。
でも50年前の1フランには                                      3倍の価値がありました。
ということは、                                             50年前に比べて洗濯機の価格は
3分の1になったということです。
床屋は50年前には3フラン50ラッペンだった                           のが、今日では40フランもします。
このように、技術の進歩によって
昔のように人の手を                                         借りなくても済むところでは
価格は下がりました。
でもそうではないところ-例えば床屋では-                           価格は上がりました。
高いのは人件費です。
何故なら所得が必要だからです。
しかも税金も加算されます。
購買力を考えた場合、床屋が昔よりも                              良い賃金を得ている訳ではないのです。
どこでどの様に合理化が進んだのか、
また合理化にはどういう意味があるのか、
それを知るために価格の比較をしてみると、
もし洗濯機の値段が                                         床屋の値段のように上がったとしたならば、
今日その値段は                                         40.000フランにもなるのです。
もし私が洗濯機にどれだけの意味が                               あるのかということを理解出来なければ、
つまり洗濯するっていう事以外の                                 意味を理解出来なければ、
無条件の生活基本金が                                       文化衝動であるかどうか、
その質問に対する解答は                                      得られないでしょうね。
もう今から212年も前に、
トマス ペインは著書『農業の合理性』の中で                         ベーシックインカムを推進しました。
そこで彼が述べたのは、
全ての人間は平等であり、                                     大地はそれを養う。
だから誕生の時より人間を養う大地の一部に                          対する権利が与えられるべきである。
が、その大地が幾人かの人間に割り                               当てられてしまっている場合、
-それを財産というが-
そこに均衡がもたらされなければ                                  ならない。
土地を所有しない為に                                        自給出来ないこうした人々に
均衡をもたらすのが
生活基本金であるべきである。
それから今日に至り、                                        様相は変わってしまいました。
今日では土地を所有していても、                                 自身を養うことは出来ません。
自分の為にだけトラクターを製造したり                              大地に肥料をまくのではなく
自身の仕事の成果が                                         ほかの人々の為になるのであったなら
世の中はもっとうまくいくでしょう。
自給というのは、
自分で製造できるものによって
生活するということです。
でも自給のように見えても
本当は違うこともあるのです。
私たちは助け合いの中で                                      生きています。
私の労働はほかの人の為にあり、
私が手に入れるものは                                        ほかの人の労働によって存在します。
そしてその往来が                                          お金によって機能しています。
労働によって商品となったものが                                  お金で買われます。
お店ではチーズと現金が                                      店頭で交叉するわけです。
給料には自給的な性格も含まれています。
何故なら自身の行為に対してお金が                               払われるのだから結局、自分の為なのです。
イスラムのスフィ伝説にでてくる                                   天国と地獄の違い
地獄ではおいしい御馳走が                                     準備出来ています。
そこに長いスプーンがあります。
それぞれがひとつずつ手に取ります。
天国でも全く同じ状況です。
おいしい御馳走とスプーンが                                    準備出来ています。
それぞれがひとつずつ手に取ります。
助け合いの社会では、                                       自身の仕事の成果が他の人を満足させる。
自分のもとに今あることは、                                     他の人のイニシアティヴによって存在する。
イニシアティヴを買うことは出来ないが                              可能にすることは出来るのである。
こうして考え方を変えれば                                      解ることなんだけど
自分の為に働いてくれる人々に対して
生き延びる為に這いつくばっても働け!等と                           酷な言葉をとばすのは恥だということだよ。
新しい時代の特徴は、                                        社会における絶対的な個の存在性だよ。
全ての人は自身の目標や概念を持ち
それを可能にする方法を探している。
今の社会では                                             そこでお金が重要な意味を持っている。
すなわち、                                               お金が自由への手段になってしまっている。
その考え方を                                             今後変えていかなくてはならないんだよ。
でも人々がそれを出来ずに
お金の奴隷になり下がり
自由への喚起を                                           結局のところ再び失うことになれば
それは悲劇であり、                                         現代社会における皮肉とも言えるよ。
お金の奴隷になるって                                        どういうことでしょう?
それはお金で計れることだけは                                   全てやるということです。
つまりお金そのものが                                        価値であるということです。
そしてお金を利用してもっと多くの                                 お金を持たなければと考えます。
またお金を行使して他の者や                                    その生活に権力を振るいます。
そしてこのお金の奴隷たちはその支配権によって、彼らがお金を与える人たちをも     奴隷としてしまうのです。
ベーシック インカムでは民主主義に                               よって流れるお金の一部が
市民にくまなく分け与えられ、                                    自由への手段となるのです。
そうすればお金は雇われものとなり、                               人間が支配者になります。
グローバルな課題を持つ今の世の                                為にこれは好条件となるでしょうか?
いやぁ、それは当たり前だよ。
まず社会に必要なのは、                                      自由の概念をつくりあげること。
というのも世の中は                                         馬鹿げたことばかり...
『世の中に金があり過ぎるのが                                  問題なんだ』...と
投資コンサルタントが嘆く一方で
至る所で商品が                                           過剰生産されている。
そして増え続ける膨大な失業者、
とにかく課題が山積みだ。
人間がグローバルの泥沼に                                    埋もれたくなければ
多くの事を早急に行わなければ...。
世界全体の農業は                                         120億人分の生産が可能です。
この地上には                                             66億の人が生きています。
なのに1時間当たり1000人が                                   食料不足で死亡しています。
水は食料品にあたるから
他の食料品のように                                         市場価値を定めるべきだ。
ジャン ツィーグラー
『パン』
今日食料不足で子供が死んだら                                  それは殺されたのと同然です。
お金は必要なところに流れてゆかず
社会の現実とは拒絶されています。
利子を増やす名目のもと保管されていますが
ドアの外の社会では不足しています。
多量のお金が                                             ひとところに寄り集まっています。
そこから出てきたところで、                                    人々の為には何もならず、
例えば配当金として激烈なシステムの中で                            破裂するだけです。
これが未来ではないでしょう?
所得と労働を分けなければ                                     ならないということは
次第に明らかになってきています。
そしてベーシック インカムは                                    失業問題に対する
本当の解決策だと思います。
やるべきことはたくさんあるけれども                                お金が無いわけです。
だからベーシック インカムで                                    必要なところにお金が流れ、
人々のインパルスが現実のものに                                 なればと思います。
労働と所得を分けること
ベーシック インカムにとって                                     最高のことです。
でもどうやってそれを                                         達成してゆけるでしょうか?
この円は国民経済における                                   生産価値を表わしています。
生産が多ければ円も大きくなります。
国民経済における生産価値というのは、
ひとつの国で1年間の間に
何がサービス業や生産業で生産され
更に加工されたり販売されたりしたかを                              表わします。
この生産価値は国家と個人という                                 領域に分けられます。
生産された半分は国家からの
税金や出費で賄われます。
それによって教育機関や警察、社会福祉
その他のサ-ビス業など
個人が支払うのではなく                                      公共費用であるべきもの、
民主主義的に委託された                                      仕事などへの
費用が賄われています。
2005年の国家出費率は、スイスでは36%、
スウェーデンでは56%、
オーストリアではちょうど半分の50%、
そしてドイツでは47%となっています。
さてベーシック インカムの導入で                                  これがどう変わるでしょうか?
実際のところ                                             国家が支払う基本金で変わるのは
支払いの性格が                                           少し変わるということだけなのです。
何故なら基本金の為のお金は既に存在                              する税制度で国家が所持しているからです。
今日だって国家は税金から                                     この『基本金』を所得として公務員や役人、
配当金の受取人などに
支払っているではありませんか。
こうした既存の基本金は                                     ベーシック インカムの導入に際して
その簿記の方法が                                          変わるだけなのです。
個人経済の領域では                                        基本金の為のお金は
まだ国家に属していません。
まずそれを税金として                                        国に収めることによって
基本金の支払いが可能になります。
それにより国家の負担率が増します。
それじゃ国が力を増すってこと?
いいえ、そうではなく国による統率や                                管理はかえって減るのです。
ここでは国家は基本金の為の                                   単なる保証人に過ぎません。
でも税金が高くなるんじゃないの?
そうです。でもどの税金でしょうか?
その場合いつも頭に浮かぶのが                                  高額所得者からお金を頂くということです。
高い所得税によって                                         基本金資金を調達するというこの考えは
既にミルトン フリートマンにもありました。
必要な家庭には                                           所得税が支払われるというもので、
それをネガティヴな所得税と                                     彼は名付けました。
彼の提案したモデルは1990年代まで
ベーシック インカムの討議で                                    他の意見を制していました。
それは1960年代に展開され
アメリカでは導入直前の                                       ところまでいきました。
フリートマンはスリムな自由主義の                                福祉国家をめざしていたのです。
50年後の今日、所得税による国家予算は、                           減りつつある賃金収入によって
支えられているのです。
それが今日の福祉国家です。
失業者の増加はつまり                                       所得税の減少をもたらします。
かといって所得税を上げれば、                                   賃金労働に負担をかけます。
猫が自分の尻尾をかじっているのと                                同じ状態です。
所得税における不条理な点は
自身の業績が税にかけられるため、                               自身の基盤を消耗させてしまうことです。
では今日にふさわしい税収入とは                                 何でしょうか?
今日税金がどの様になっているのか
この企業の例をよく観察してみましょう。
スイス バーゼルにあるカフェ。
1日当たり                                               1000人以上の来客があります。
40人の男女従業員。
年間350万フランの売り上げ高。
では税金はどのように                                        なっているのでしょうか?
企業にとって税金とは                                        いつも経費ってことなんです。
そして経費はすべて売り上げに                                 よって賄わなければなりません。
さもないと                                               企業は存在出来なくなります。
さて基本的には                                            3つの税金の形態があります。
ひとつは付加価値税(消費税)で
これは客が直接支払います。
その他に社会保険費と所得税があります。
付加価値税はレシートに明記されて                                いますから誰にでも判りますが、
企業にとっては経費にあてはまらないので
明細書にも記載されません。
では社会保険費の場合は?
その場合には従業員と企業が半額ずつ
費用を払っているかのようにしなければ                              なりません。
従業員の給料明細書には                                     その様に記入します。
それは決まりであり、                                        そうしなければならないのです。
そして会計簿にも                                           その様に記載されます。
が実際に費用を支払っているのは                                 雇用主であり、
そのお金は客が払っているわけです。
所得税の為のお金を                                         従業員は税務署に納金する前に
実際に受け取っているのです。
お解かりのように所得税も                                     既に商品価格に含まれているのです。
ここでラテ マキアートを飲んだら、                                 価格の内訳はどうなっているのでしょう?
牛乳とエスプレッソが混ざったこの飲み物は
ここでは5フラン20ラッペンです。
価格の4分の1は経済基盤、つまり
建物、光熱費、運輸、食器などに                                 充てられます。
更に4分の1は商品の原材料である
牛乳、コーヒー、砂糖の為の費用です。
その他の大部分は人件費、
つまりサービス料です。
がその中には清掃料金や                                      管理者の給料も含まれます。
更にその上に付加価値税が加わります。
スイスではたったの7.6%です。
これは商品が購入された時に                                   始めて課される税金で、
生産物に含まれる全ての努力が                                  お金に変わった時に有効となります。
もしウエイターがラテ マキアートを                                 落としてしまったら
生産価値はこれで消失です。
アルプスの牧場に始まる全ての労働が                              無駄になる訳です。
こぼれたラテ マキアートは                                      もうラテ マキアートではないのです。
ですから付加価値税も無くなります。
付加価値税が                                             生産の最後にくることは明らかです。
しかし商品価格の中には、                                     その製造過程で生じた
目に見えない税金が含まれています。
給料の中には所得税、保険料、                                  福祉税などが含まれています。
原料の中にも税金が含まれています。その                           生産過程でも所得税が払われている為です。
それは原料費の中に含まれている訳です。
企業維持の基本経費についても                                  同じことが言えます。
それを消費者が支払っているのです。
その支払いによってお金は機能し、
それによって税金も支払われるのです。
これまでのことを要約してみると                                  どうなるのでしょうか?
もし様々な税金が                                          ひとつにまとまった経費として
付加価値税のように誰にでもわかるように
生産物の最後で課税されるのであれば
りんごが熟れてから初めて                                     税金をかければ良いのであって
それまでに何段階にも分けて                                   課税しなくてもよくなり、
全ての消費者は値段を見て
どれだけのお金が国に流れるのか、                               税金となるのか、直ぐに解るのです。
民主主義はレジで行われています。
レジでは誰もが平等です。
もし税金が消費税だけになれば、                                 所得税隠しもなくなります。
労働には税金が                                           課されなくなるのですから...。
その代わり                                              税隠しに誘惑される人が現れるでしょう。
床屋で40フランの代わりに                                     20フランで済むとしたら?
大きな違いです。
勘定書を記載さえしなければ
高い税金を着服することも可能でしょう。
でもこの付加価値税しかないとすれば
脱税の捜査も簡単で効果が上がるでしょう。
ただ税理士の皆様方にはお気の毒です。
企業や財政事務所の                                        複雑な経理の仕事も減ります。
敷居の無くなった社会には                                     チャンスがあります。
それは税金がしっかりと                                       納められるようになるということです。
しかしその為には、人々が                                      逃れられないような税源が必要です。
つまり付加価値税を                                         しっかりと定着させる必要があります。
この税は                                                消費者が現金を支払う時に有効となります。
ですから消費税と名付けることが出来ます。
消費税はラテマキアートを飲む人が払うので                           あり運んできた人が払うのではありません。
それに対して所得税のことを考えると
所得はまるで自分の家へ持ち帰る為にある
労働による収穫物であるかのようです。
所得税は自給による税金です。
ですから                                                助け合いの社会では問題となります。
高齢化や失業問題も
消費税があれば                                            国家の財政に問題は起こりません。
何故なら常に消費は為され
十分に生産もされるからです。
これを考えた時、                                           やはり所得税の問題が浮かび上がります。
それは仕事をする機械が                                      税金を免除されていることです。
ここに同価格の2つの製品があるとします。
ひとつは殆ど手作りで、                                       もうひとつは機械製造です。
手作りのほうには                                          税金が多く含まれていますが
機械製造の方はちがいます。
つまり機械に所得はないので
税金も差ほどかかっていないのです。
脱税労働のようなものです。
左のグラフは床屋の場合
そして右は洗濯機の場合です。
現在、                                                 人の仕事に税が課せられますから
一方では税金が多く含まれ、                                    他方ではそれが少なくなっています。
ここで両方の                                             実質的な価値だけをみてみましょう。
それまでの税金のことは                                       抜かして考えます。
そこに同率の消費税をかけ、
先程グラフの赤で示されていた
税金の量にまであげてゆきます。
するとひとつは安くなり                                       他方は高くなります。
なぜなら機械の仕事に                                       税的な助成がもう無いからです。
人間による仕事と機械による仕事が                               税金の上で平等になりました。
というのも税金が、商品の                                      生産価値にのみかかるからです。
そうすれば機械も、その機能ゆえのみならず                           税収入にとっても有益になります。
更に床屋の価格を                                          今日と同じところまで引き上げれば
全体の結果として                                           国家の税収入は益々増えるのです。
今日の様に                                              商品に税金の殆どが含まれている場合、
その税金は                                              商品と共に外国へ輸出されます。
もしその商品がスイス製だとしたら
スイスにおける教育や                                        公共事業、社会福祉の費用を
商品を買った外国の人が                                      払うことになるのです。
これは正しくありません。
では逆の場合は?
スイスで外国からの製品を                                     格安な価格で買えますが
そんなに安く買えるのは、                                     色々な理由の中でも特に
原産国の人々に対する                                       保障が行き届いていないので
それにかかる費用が                                         少ないからなのです。
消費税は全ての輸入品、                                      売られる為に運び込まれる
全ての物品にかかります。
そして国産品にも同じ税金がかかります。
国内で売られる全ての                                       物品にかかるのです。
それが国内で生活する                                        人々に還元されます。
が消費税は輸出出来ませんから
商品が輸出されても                                         税金はついて行きません。
個々の国が自らの良き判断で財政を執り行い
それを自ら賄うべきです。
消費税はグローバルな社会に                                   おける適切な税金です。
公正な取引の為の公正な税金です。
このような、商品を売る時に                                     課される税金はここドレスデン
エルベ川沿いの                                            ブリュ-ル テラスで始まりました。
ブリュールのハインリヒ伯爵が                                   考え付いた税制度です。
200年以上経ってドイツでは                                    似たような税制度が施行されましたが、
付加価値税という                                           全く違う計算方法によるものです。
それは作業の分担に余裕を与え                                  競争経済にも無影響です。
ドイツに於ける19%の高めの税金は、                               統一的な国家収入として定着しています。
スウェーデンでは25%です。
この税金はヨーロッパ共同体                                    加盟の条件のひとつです。
新時代の税金です。
助け合いの社会に                                          ふさわしい税金です。
ドイツでの                                               付加価値税導入を推進した一人
それがこの                                              ベネディクトゥス ハードルプ博士ですが、
彼もこれを支出税、或いは消費税と名付け、                           これこそが
唯一の税金であるべきだと述べています。
所得税が常にブレーキになってしまって                              いるのを私は見てきた。
でも消費税によってまず全ての労働過程                             がより発展していくことになるだろう。
支出税が導入されれば人々は
人生における方向性をはっきりと                                  定めることが出来るようになる。
もし消費税しかなければ、ことは簡単だ。
税金申告等もしなくてすむ。                                    だって何にも税金がかからないのだから。
でも消費税しかなくなったら、                                    免税制度はどうなってしまうのだろう?
なんたって免税制度は                                       社会福祉の構成要素だからね。
消費税においては貧富の差に                                   拘わらず同率の額を支払う訳です。
福祉の観点からこれを                                        どうみればよいのでしょうか?
そうだね、そしたらこうすればいいんだよ。
つまり生活基盤を支える為に                                    誰もが消費税の払い戻しを受ける。
この払い戻し金こそが生活基本金なのです。
こうしてまた生活基本金のテーマに
私たちは戻って来ました。
でも変わったのは                                           『どう資金を調達するか?』という問いが
『消費税をどう福祉的にするか?』に                                進歩したことです。
生活基本金とはすなわち、                                     生活基盤の為の消費税の返済、
払い戻される免税金なのである。
このように消費税を通してベーシック                                インカムは免税金の払い戻しとして
社会福祉的にも論理に                                        かなった道を歩むのです。
だから無条件であるべきなのは                                   誰にでも理解出来るはずです。
では実際にはどういうことになるのか、
計算してみましょう。
とりあえず生活基本金を1000とします。
1000ユーロです。
それを免税額の払い戻しとして
誰もが受け取ります。
誰がいくら収入を得ているのかは                                  全く関係ありません。
他に収入が無ければその                                      1000ユーロが総収入になります。
他に500ユーロの収入があれば                                   総収入は1500ユーロ。
他に1000ユーロの収入があれば                                  総収入は2000ユーロとなっていきます。
ここでは誰もが生活基本金という形で                               1000ユーロの税金を受け取るわけです。
ではそこからどれだけ税金を                                    払うことになるのでしょうか?
所得税が無くなり、商品価値に                                   かけられる消費税だけになった場合
税率はおよそ100%となります。
つまり価格の半分が                                         税金となるということです。
10ユーロで何かを買えば、                                      その中に5ユーロの税金が含まれています。
1000ユーロ買い物をしたら500                                   ユーロの税金を払ったということです。
でも1000ユーロの税金の                                      払い戻しはもう受けています。
ですから実際には                                           マイナス500ユーロの税金を払いました。
言い方を変えれば実際には500ユーロの                             税金を受け取っているということです。
1500ユーロ買い物をしたならば
同じくその半分、750ユーロが税金です。
1000ユーロはもう受け取っています。
実際にはマイナス250ユーロの                                   税金を払いました。言い方を変えれば
生活基本金によって250ユーロの                                  税金を受け取ったということです。
2000ユーロ買い物をしたら、                                     1000ユーロの税金を払ったことになります。
この時初めて実際には税金の                                   支払いも払い戻しも無くなる訳です。
生活基本金の倍額以上の支払いで                                初めて実際の消費税が加算されます。
3000ユーロの支出では、実際に500ユーロ                            の税金を払ったという風になっていきます。
生活基本金の倍額を支払う時、                                   税金はプラス マイナス0なのです。
そしてここから累進税率が始まる訳です。
3000ユーロの支払いでは                                      その内の17%が実際の税金です。
5000ユーロの支払いでは                                      その内の30%が税金です。
それより高額な支払いに含まれる                                 税金は最高50%近くとなります。
そして逆の方向にも                                          累進税率は効果を及ぼします。
消費税に於ける社会福祉的な累進税率は                            ベーシック インカムによって容易になり,
何と言っても効果があるのです。
民主社会党は、裕福でない人たちが                              個々の状況に合わせた税金ではなくて
一律の消費税をその給料の中から                                 多く支払わなければならないのは
後退的な税制だと言って                                       いつも反対しておられます。
でも所得税が個人の状況に合わせて機能                           しているかというと、そうではありません。
何故なら高額所得者には
その収入の一部をどこかに隠したり、                               税金の控除を申請したり、
色々な可能性があるからです。
出来る人は所得税が高くならないように
収入を縮小します。
それが出来ないと                                          所得税がのしかかります。
しまいには、生活基本金が福祉の                                 均衡を保つことも出来ないうちに、
先程にもでてきたように、                                      しわ寄せが商品価格に現れてきます。
所得税ははっきり姿を表わさないばかりか
しっかり見られることも阻むのです。
税金がはっきりとひとまとまりで                                   商品に現れるとこうなります。
それまでの過程で課された                                     所得税が商品に現れるとこうですが、
ここでは価格の半分近くが                                      従業員にかかる経費になります。
右の場合にはおよそ4分の1で済みます。
左の場合には激しい価格競争の中で                               仕事をしなければならず、
それが価格に反映されています。
必要の無い者はすぐにとばされ、
従業員は限界ぎりぎり、                                       新しいことを試みることも出来ません。
右の場合には余裕があります。
ストレスも無く考えるゆとりがあり
従業員を増やすことも出来ます。
消費税はその様に                                          仕事に影響を及ぼします。
生活基本金も同じような感じです。
生活基本金の一部は                                         税金に因って支払われます。
その他の部分を税金は膨らまし
生活基本金として個人経済の                                    収入の中へ成長してゆきます。
運送や建物管理に関わっている                                  人たちにとっても同じです。
全ての税金は、                                            客の前に姿を現す製品にのみ
課されるのです。
ですからラテ マキアートが                                      テーブルに出された時
価格の内訳はこうなるのです。
下の3分の1が                                            ラテマキアートの原材料費、
真ん中の3分の1が                                          生活基本金の為のお金、
上の3分の1が                                            その他必要な国家予算の為のお金です。
そしてこの価格全てが所得です。
下の3分の1は製造過程において
直接従事した人たちの所得、
上の3分の1は、それ以外の周囲の課題や
公共の課題を果たす為に
働く人たちの所得、
真ん中の3分の1は                                          皆の為の生活基本金です。
このカフェ店が支払わなければ                                   ならない従業員の給料は
今日価格の約半分であるのが                                   将来約6分の1になります。
でも従業員の給料は変わらないのです。
税金を削り基本金を増やすのです。                                (商品の値段は変わりません。)
生活基本金は既にある                                        所得の中に成長します。
総収入額は変わりません。
これが基本です。
基本金は実際の生活の中で                                    交渉する際の基盤となります。
例えば労働で得る収入が少ない場合には
基本金があるんだから家にいて
子供の世話をした方がマシだ...
その子供にも基本金があるんだし...
と言えるようになります。
それともやっぱり                                           ハンモックに寝っころがるか?
職場には行かず家に留まるか?
考え得る様々な状況で
生活基本金によってその行動を可能にし、
独自の生活を立ててゆける様になります。
単独、合同に拘わらず。
生活基本金によって浮かんだ                                    アイデアにもチャンスがもたらされます。
所得はもうあり、                                            それを職場に持ち込むだけです。
何か新しいことを始めることも出来ます。
一緒にやろうかどうか                                         他の人に尋ねてみることも可能です。
その人にだって                                            生活基本金があるのですから!
今まで通りの仕事を続けるにしても                                 新しいことが起こります。
職場では皆同じ目の高さで                                     話せるようになるからです。
仕事がどうあるべきか、自分の意見に                               重きを置くことも出来るようになります。
本当の意味での共同作業です。
雇用主がもう少し多く給料を払わなければ                            ならないようになるかもしれません。
企業内で                                                幾つかのことに変化が起きていきます。
給料がいくら必要なのかも
話し合っていけるのです。
そしてこの話し合いは                                       様々な側面を持ちます。
ある家庭で夫婦の内一人だけ                                   所得を得ていてもう一人は無職
子供の為には養育費援助がある場合、
一人が得ている所得から、無職の人も子供も
所得を得ていますが、
生活基本金により、こうした会社や家族との                           所得面における今までの結びつきが解け、
個々の人間の立場にたった民主主義的な                            新しい全体の結びつきが築かれます。
ベーシック インカムは解放を意味します。
家族内でも同じ目の高さで話せるようになり
労働市場にもチャンスが与えられます。
ヴィリーとハンスは仕事仲間です。
同じ会社で、同じ仕事、                                       同額の所得を得ています。
ここはスイスです。
10,000フランあれば、                                         かなりの生活が出来ます。
しかし、                                                 それで何人養われるのかにもよります。
ハンスには奥さんと2人の子供がいます。
例として、スイスで                                          生活基本金が2500フランであるとし、
子供にはその半額支給されるとします。
こうしてハンスの家族の                                       生活基本金が集まります。
奥さんの分
子供たちの分
合わせて7500フランです。
以前ハンスは家族を養う為の額をひとりで                            稼がなくてはなりませんでしたが、
いまは2500フランの為だけに                                    仕事に行けばよいのです。
でも家族に何も変化は起こりません。
ヴィリーは独身です。
まぁ、愛犬がいるんですけど。
でも犬に基本金は支給されません。
ヴィリーが仕事を続けて                                       7500フラン稼ぐとしたら
彼の生活は以前と変わりありません。
でも労働市場ではハンスのほうが優位です。
何故ならハンスには家族があり、                                  生活基本金もあります。
ですからヴィリーよりもずっと安い給料額が
交渉の対象となるからです。
だからと言って家計に影響が                                    及ぶわけではありません。
ではこうした、所得の金額の問題に                                どう対処すればよいでしょうか?
同じ仕事に対して様々な給料が                                  支払われるということではありません。
そういう風にはならないのです。
また給料の額を、
ヴィリーに合わせるのでも                                      ハンスに合わせるのでも
ないのです。
ここに新しい水準が必要となります。
それはつまり真ん中、5000フランです。
同じ会社、同じ仕事、同額の所得。
ヴィリーにもハンスにも                                        5000フラン支給されます。
お金で計れる生産価値の他に
お金では計れない第2の
生産価値が存在します。
福祉、文化、人間社会における、                                  お金にはならない創造的活動です。
こうした活動は                                             ベーシックインカムの導入によって
その数を増すでしょう。
例えば、健康管理の分野、
好意ある生活保護、
精神的な活動、
人との交わり、
自分を鍛える為の習得行為、
様々な分野での自由研究、
社会に新しいことをもたらす                                     自由企業の設立、
合理化も出来ず、                                           またお金にもならない行為。
ベーシックインカムは自身のことを                                 認識する為の時間をも与えてくれます。
でもそうしたら、お金で計れる商品価値が                             減ってしまうのではないでしょうか?
多分そうかも。多くの人は週に                                   2日しか働かなくなるかもしれないし
残った時間でおばあちゃんの                                    世話でもするのかな?
でもそのおばあちゃんにだって                                   生活基本金があるんです。
今日のように自動化が進んだ社会では                              ベーシックインカムによって生産量が                               落ちるということはないでしょう。
健全で、不安から解放され、
自覚を持ち創造性に満ちた                                     社会の基盤の中で多くの事に
新しい価値が見出されるでしょう。
そして今日まだスタート出来ないことの                              多くが可能になるでしょう。
経済は活力を増し、                                          お金で計れる生産価値も向上します。
あとは一体何がかけているのでしょうか?
それは信頼です。
あなたが一番悩むのは?
冷淡さです。
ベーシックインカムは単なる空想、                                 それとも理性?
それは論拠のあることだし経済的に可能だ。
ではどうしてまだベーシックインカムが                               施行出来ないのでしょうか?
それは心の中のコンパスの                                     ようなものがまだぶつかり合って
社会が抱える問題と可能性を                                   ひとつのまとまりの中で
考えることが出来ないからですよ。
自分たちのしていることが                                      本当に納得の出来ることなのか?
それとも、その納得していることが                                 本当に時代に合っているのかを
見てみる必要は無いのか? そうした                               ことを問うほど人間はまだ進んでいない。
だから今あることを維持しようとします。
そして学校や大学などをより一層                                 将来の就労に合わせて
整備してゆくのです。
一度手放してみることが出来ないからです。
これこそが病気の症候ですよ。
人間が今いる                                             可能性のある新しい環境の中に
時代遅れの感覚が鉾を突きつけている。
この時代遅れの鉾こそ、                                       物事が進歩してゆかない
病気の原因なんだと思いますよ。
今の社会のシステムが今後も機能                                 してゆくかどうかということではなくて、
私たちは目に見える別の可能性を                                 作り上げていかなくてはなりません。
それがベーシックインカムであると                                 思います。例えそれが
今ところどころで行われている                                   地域通貨という形であるとしてもね。
それは特別に変わったことでも                                   革命的なことでもないわけだから
新しい可能性を示すことの                                      出来る良い例です。
ベーシックインカムは慈善行為でもなければ
単なる資金援助とも違います。
それは市民の権利なのです。
ベーシックインカムは国家財産を共有できる
ひと一人一人が持つ権利です。
無条件のベーシック インカムが                                  将来の目標として
既にブラジルの法律に掲げられているのは、                           スプリーシー上院議員の功績によります。
どこの国でだったらベーシックインカムの                              ことを真剣に考えられるでしょうか?
エジプトでだって考えられるよ。
でも考え方を変えないと...。
ヨーロッパで考えられている                                     モデルとは比べることは出来ない。
でもエジプトにふさわしく考え                                    観察することはとても重要だ。
ベーシックインカムはエジプトの人に                                どんな影響を及ぼすでしょうか?
まずは解放!
生活が存続出来ない危機から解放され、                             全く違った目で将来をみて
可能性を見出せるようになるだろう。
今はただ生き延びることのみだから!
スプリーシーさんは何故ベーシック                                 インカムに力を注いでおられるのですか?
真実を見つけたいからだよ。
私は道を見つけたい。
貧困をなくす道、
公正な社会を築く道、
所得の配分をより良くする道、
権利を確立する為に...。
そしていつか誰もが
友愛という名のひとつのテーブルに
座れる日が訪れること
それを願って戦いたいのです。
その昔マルティン ルター キングが                                 その演説『私には夢がある』
で述べたように...
私には夢がある。今日私には夢があるんだ。
ベーシックインカムは                                         子供から始めることが可能です。
例えば2000年に生まれた子供たちからです。
そして子供たちと共に                                        社会の中で育っていきます。
でも考え方さえ変えれば
自分の所得でも始められます。
給料を払う時に私たちは、                                      もたらされた業績を決算するわけではなく、
給料によって共同体への                                      寄与を可能にしているんだよ。
従業員の労働はお金で支払える                                  ものではなく、給料によって
仕事をすることが可能になっているんだよ。
ベーシックインカムは                                         ひとつの地域からでも始められます。
例えばひとつの州、
或いはひとつの街。
例えばグライフスヴァルトでも。
人々を条件無しで財政的に自由にするならば                          財団でも始めることが可能です。
国家が金銭的にも                                          援助することがある財団法人では、
自由な精神活動や福祉活動を                                   経済的に助ける為の
準備が出来ているはずです。
でもそこには社会福祉や文化活動の
プロとして中心で支える人間が
欠けているんです。
それに代わってやれ企画書だの、構成や                             基準がどうのこうのといったことばかり。
人間個人について                                          真剣に考えていないんですよ。
その個性こそベーシックインカムによって
真剣に捉えられるようになります。
それとは裏腹の意見として、                                    人はその個性に信用がおけなくなっていて
自分の考えもないし、自分から何かを                               始めようともしない...と言う人もいます。
ではフランクフルト失業者対策センター代表                            ボンマースハイムさんの見解は?
皆自分の考えは持っていますよ。
でも何が出来るか、許されるのか、望まれて                           いるのか、ということを正しく考えられず、
その正しくない想像による生活への                                不安によって埋没してしまっています。
ベーシックインカムが導入されれば
皆にもっと力が湧くのは間違いないと                               私は納得しています。
要するにそれは再び経済と社会に                                 還元されるということです。
そこで疑問に挙がるのは、生活基本金が支給されたら人々が仕事に戻る率が上がるのか?ということですけれど...
とても高い率で上がると私は思います。
では私たちは人に投資を                                       始めなければなりませんね。
でもそれは私がとっても嫌いな人にでも
行われる投資ですよ。
それこそとても重要だと僕は思うね。
「私は今までずっと                                          規律ある生活をするように努力してきたし
意義あることを行うように務めてきた。
でもあそこにウロウロしている若者たちには
秩序も何もありゃしない。
そんな人たちにまで金を配るなんて
スキャンダルだ!」
こういう見解を持つ人たちは心のどこかで                             ベーシックインカムを拒んでいるのです。
でもこういう言い方をしては品がないし、
そういう意見は悪い印象を与えます。だから
言葉を変えて「どうやって資金を                                   調達出来るのか?」と言うのです。
私たちは人間を解放する為に                                    仕事を機械化してきましたが、
今度は逆に職場が無くなって                                    ため息をついているわけです。
そして誰も「全く忌々しい。
今までずっとそのことに                                        対処してきたのだから
いまさらもうやることは無い!」
なんて言える政党はないのですよ。
それがとっても腹にたつわ。
とっても大切なのは、                                         正に個人的な『妬み』の問題です。
何で他の人が自分よりも恵まれなければ                             ならないのかという妬みです。
そしてこの妬みが                                           ベーシックインカムで打ち砕かれるのです。
人が自身をこうした妬みから解放できれば
その人は                                                ベーシックインカムの為にばかりではなく
自身の健全な精神と社会に生きる人間とし                            ての能力の為に貢献したことになるのです。


2010年1月17日日曜日

バトンが回ってきた。でも回さない。

鮫肌狂子さんよりバトンお預かりしました。
どうもありがとう。
せっかく選んでもらったのに、繁殖型イベントには抵抗があったり。
ごめんね。

◎バトンのルール

1.必ずバトンを回す、5人の大切な大好きな方々を題名に書いて驚かせて下さい。
2.回ってきた質問には素直に等身大の自分で答えましょう。
3.やらない子はお仕置きです!!w
4.ルールは必ず掲載しておいて下さい。


★お名前は?

ujiny(和名:うじ兄)です。

★おいくつですか?

バラク・フセイン・オバマと同い年、48歳です。

★ご職業は?

無職。

★資格は持ってる?

いろいろあるけど、提示を求められたのは自動車免許だけだね。

★今、悩みが何かありますか?

悩んでたような気がするけど、何だっけ悩み?

★あなたの性格を一言で言うと?

カオス

★誰に似てるって言われた事ある??

無い。河童だとは言われる。

★社交的? 人見知りしちゃう?

相手からのアクセスを待つタイプかな。

★人の話にはしっかり耳を傾ける?

納得できなくなると口をはさみだします。

★ギャンブルは好き? 嫌い?

つきが無いと理解してます。

★好きな食べ物飲み物、嫌いな食べ物飲み物は?

好きな食べ物:海老、イカ、タコ
嫌いな食べ物:うに、イクラ(魚介の卵が苦手)

★恋人いる?

バーチャルにならいっぱい!

★彼氏・彼女にするならこんな人が理想(5つ)

信じてくれる人。

★彼氏・彼女と喧嘩をした時、自分から謝れますか?

嘘でもその場は、即謝っておきます。

★親友と呼べるお友達は何人いる?

いません。

★バトンを回してきたあの人...正直この人の事は○○である。

布袋さんが大好きで、ギターも大好きなお嬢さん。
ネット上ではとてもアクティブです。
クレバーでシャレが通じる。

★今までの自分の経歴で面白い事や自慢できる事は?

無し。

★これの為なら1食抜ける!!

無し。食事最優先。

★趣味・特技(いくつでもOK!!)) 

趣味:人間生活
特技:動物と意思疎通

★今、行きたい場所は?

こたつ

★もし自由に使える10万円があったら何に使う?

生活費:犬猫の餌や病院代

★将来の夢を語って下さい♪

不安の無い健康で人間らしい生活が夢。

★その夢の為に、何かしている事はある?

資本主義のダニの抹殺計画

★バトゥンを回す人の紹介を盛大にお願いします♪(印象付き)

ええと、バトンは回しません。自ら回して下さいという人がいたら、ここにバトンを刺しておきますんで勝手に抜いていって下さい。何人でもご自由に。
こういう連鎖反応の仕組は難しい。
これで、どうしてうちに回してくれなかったとか感じる人がいたら好かんのよね。

2010年1月10日日曜日

銀行を信じるか?政府を信じるか?

資本主義の欠陥による弊害が貧困を生み慢性的な不安が人々に取り憑いています。
誰しも、少なからず、そこはかとない不安があるでしょう。

本当にこのままでだいじょぶ?

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は皆知ってますよね。その末路も。
そんな結末は迎えたくないけど。まんざら最悪の可能性も見える。

無知は罪という観点から、とりあえず、良いコンテンツを教えていただいたので紹介しておきます。


リンク先の記事には所得保障(ベーシック・インカム)の必要性と理解を助ける内容が一応揃っています。

ただし、どうやって実現させるかは、これから皆に認識してもらい十分な検討や討議が必要とされています。
また、社会基盤となるべく部分なので、脆弱で不安定な政党政治が指導して導入するとせっかくの良案も一度の挫折で資本主義者のつけ込みどころになりかねません。
まずは、皆が知りどうやったら取り入れられるかを考える段階にあります。

以下の言葉だけでも記憶して下さい。
ベーシック・インカム 略して BI と記する事が多いようです。

理解が進むと資本主義には社会信用論という補足機能が求められると思うようになります。


クリフォード・ヒュー・ダグラス
社会信用論を提唱。

知るだけでも、未来に光が見えてくる。

2010年1月4日月曜日

新年、明けましておめでとうございます。

新年、明けましておめでとうございます。


にゃー! on Twitpic


昨年は、皆さんの温かなコメントをたくさんいただき、記事更新も楽しくさせていただきました。
心より感謝を申し上げます。

昨年、9月から失業状態となり自分や自分を取り巻く環境や社会についてじっくり観察する良い機会と時間が得られました。もちろん経済的には逼迫しましたが、心は豊かさを取り戻しつつあります。

そして、予てより社会問題の記事を小出しにしてまいりましたが。更に内容の解りやすく濃い記事を心がけて綴って行こうなどと思います。
まぁ、当家のペット過密問題は解決不可能なんですけどね。
(また今年も大半はペット過密ブログでしょう)

という新年の抱負かな。

今年も皆さんの健康とご多幸をお祈り申し上げます。
よろしくね。